1年経って
育児休暇明けからお世話になってた仕事環境から完全に離れてから1年経った。
その間、離れることによって新たな後悔と成就を感じることもあった。
一番考えたのは、なんで私はあの環境が向かなかったのだろう ということ。
キレイになっていくオフィス、やりたい!が実現できる、出会える外部の人が華やか、会社で期待されている部署、新しい事ができる、頼れる人・・・
客観的になればなるほど、続ければ良かったんじゃないの?自分の考えを改めればもっと良くなったんじゃないの?
なんて思うように。後悔ですね。
だけど、そんな環境にいた頃の自分はもうどうしようもなくあの場から離れたかった。
その根本的な理由って結局自分でも気づけず、結果離れられたから、理由は曖昧になったままにしていた。
離れてからは、今まで片手間でしか出来なかった仕事に本腰を入れて頑張ってきた。
その新しい環境で最初に感じたのは
「怒られないなあ」
怒られることを恐れ、怒られることは自分が至らないからと色んなことに気を抜けない状態ではなくなった。
上司からのメールやチャット通知に怯えることがなくなった。
(当時怯えたりストレスを感じている実感はなかった。あまりにも怒られないので当時ストレスを感じていたことに気づいた。)
ある日同僚が些細なことではあるけど「ああ、これ前の環境でやったら怒られるよな・・」ってことを堂々とやってのけ
何もお咎めなく終了。という事があった。
その後私もそれに近いことをやる。でも何も言われなかった。むしろフォローがあった。
じゃあ今の上司が怒れない人なのか??そうじゃない。特に周りもそんな雰囲気ではない。
これはしばらく何故だろうって引っかかっていた。
で、気づいたのだ。
怒られなかったのは、それが仕事の本質から離れた部分で起きたトラブルだったということ。
つまり、仕事を円滑に進めるためには怒る必要のない事だった。
上司はフォローした方が良いと判断している(何故なら部下は気付いて反省と軌道修正をしようとしているから。気付いてないと流石に怒る)
チャクラ開きそうになった。
それに気づいてから、私がなぜあの職場環境がダメだったのか気づくまでそんな時間はかからなかった。
マネジメントではなく支配
無駄なボランティア精神の強要
「社会人なら察するべき」という名のフキハラ
ムラがある評価
友達感覚の濫用
イジりという名のいじめ
度を過ぎた相対評価
私はいいけどあなたはダメ というよく分からない差別
これが煮詰まった環境だったからだ。
今の環境にはこれがない事も気づいた。
最近前の上司からあるデータが欲しいと私と同僚に連絡があった。
同僚が「昔のデータなので残っていないかもしれない」と返信すると大騒ぎし絶対に探し出せってリアクションしたのに対し
翌日私がデータを見つけてメールで送ったら
3日後現在
返信なし!!
そういうところですよ。
私が離れてから、私の悪口言ってるだろうなあと思ってはいたけど
部下伝いに伝わってきたり、そういうところですよ。
離れて良かったんだと再認識しました。
仕事自体は楽しかったしやりがいはあったのになあ。
それだけが後悔です。