ソフトに死んでいる 兼業主婦は 発光体

あえて抵抗せず子育て中。最近は自己満足な絵をかいています。

兼業主婦(休業中)と保活?の結果

前回のすごい長駄文をかき消す記事です。

 

保育園、無事に決まりました。

 

第5希望まで出して、第3希望のところになりました。

 

書類を提出する際、役所の人が真っ先に落選した場合の事を事細かく説明してきたのでめちゃくちゃ焦ったのですが

第1と第2に超激戦区の保育園を書いていたからだと思う。超激戦区住まいで最寄りだったからね、落選したのは残念っちゃ残念だけど。

決まった保育園は家からは遠いが私の通勤路沿い。送り迎えは楽そうでよかった…

 

慣らしの期間はたっぷりあるので

 

まずは

 

乳依存を卒業!

 

から始めます。

 

あー、色々不安。

兼業主婦と妊活中の闇

(個人的な見解ばかりです。そして長いです。)

 

世の中は不条理だ。

だから人それぞれ色んな人生があってみんな違ってみんないいんだと思う。

 

私は不妊治療経験者です。

それを経て息子を授かっています。

 

夫と結婚し、四年目で息子を授かり、そのうち最後の半年間は不妊治療の為にクリニックに通っていました。

多分、「不妊治療」で息子を授かるまで半年ってのはかなり早い方だと思います。

その事を知る人はほとんどいません。

 

不妊治療については後ほど書く事にして…。

私は日記をつけていて、当時を読み返したのと、最近読んだネットニュースで「あ、そうだったなあ」と思ったことがあったので書きます。

ちなみにこれといって着地点が定まらない事です。

 

私たち夫婦が妊活(避妊をやめること)を始めてから「あ、これはやばいのかな」と思ったのは不妊の定義が子作りしても至らない期間が2年から1年に変わった頃でした。

それから不妊治療に踏み切る迄、急に子連れのファミリーや妊婦さんや芸能人の妊娠のニュースが目につくようになりました。今まで見てもなんとも思っていなかったのに、「いいなあ」と羨ましく思う気持ちと、自分たちの家族計画が思い通りに進んでいないことの焦りに拍車がかかった複雑な気分になってました。

 

当時の日記には、闇が見え隠れしていました。

 

クリニックに通い始めた頃、たまたま読んだ雑誌に不妊治療を経て妊娠、出産した有名人のインタビュー記事が載っていて「ああ、そんな苦労もしてたんだな」と読んでいたけど、記事の後半に「私の経験を知ってもらい、今妊活している人の励みになれば」みたいな事が書いてあって、まさに私に向けて書かれた記事なんだと思う反面「何が励みだ。どうせ貴女は妊娠できたんでしょ」って冷やかに思う自分がいました。全然励みにならなかった。逆にイライラしてしまった。

 

そんな自分に気づいた時、その気持ちは内に秘めなくてはいけないなと思うと同時に妊活って夫婦でするものだけど女としては私だけで、なんだか孤独。でもきっと仲間とか同志を作っちゃいけないな。と感じたのでした。

 

この頃の日記にはドス黒い闇が丸見えでした。

 

その頃、二人の子供を持つ先輩(結婚、妊娠、出産がかなりトントン拍子)がなかなか妊娠の報告をしない私を心配して子作りに強い占い師(祈祷師?)を紹介してくれた事があって、クリニックに通い始めた事を言えなかった事もあった。(祈祷はお断りした)

人それぞれ人生観が違うように、妊活への価値観が違う人もいるんだなと知って余計に孤独と複雑な思いを感じた。

世の中は不条理。思い通りに進む人生は無い。

 

 

仕事をしながらクリニックに通うのは大変だった。夫婦で通っていたけど主に通うのは私になるしフレックス勤務の職場だから融通は利いたほうだったが、やはり月に2度3度遅く出勤したり早く退社したりするのは目立つ職場だったから気持ちがしんどかった。

妊活してまーす!治療してまーす!

と宣言できたらどんなに気持ちが楽だろう。と思ったができなかった。

 

たった半年通っただけ。それでも後半はしんどかった。不妊治療やめたいと思ってた。

この頃の日記は生活でも仕事についてでもダメな事しか書いてなかった。

時に落ち込み、やけくそになったり、酒に頼ったり。

最後の生理になった時、夫に泣きながら報告した。病院通うのやめようかなあと話した。

夫がその時どう考えてたかは分かんないけど、「もう一回通ってくれないかなあ」とお願いされた。

その時、なんだか気が楽になった気がした。あと一回という言葉が、あと一回頑張れば終わり。みたいな感じで。

 

そして今に至るのですが、今でも不妊治療とか子宝祈願、妊娠菌とかそういった類の話を聞くと妊活中の頃の闇がふつふつ出てきてモヤモヤしてしまう。

特に不妊治療はお金になるからCMもかなり増えたしね。妊娠菌云々も、需要があるから供給する人が出てくるのだし。

 

朝の散歩で顔見知りになった女性がいて、その人は私と同年代の息子さんがいて不妊治療の末に授かっている。

当時は大きい病院しか不妊治療は扱ってなくて、通うのもすごく大変で治療費も今より高かったみたい。ネットみたいに手軽に知るすべもないし、今よりも風当たりが強かった。

だから「今はいい時代よ」なんて言われた。

確かにそうかもしれない。でも今は簡単に、むしろ勝手に手に入ってしまう情報に心揺さぶられ追い詰められる事は増えたと思う。孤独なのは変わらないし。

 

そんな時にたまたまついてたテレビに不妊治療を経て妊娠して高齢出産を控えた女優さんのインタビューをやっていて

不妊治療のつらさを話していたんだけど

ロケのある日は朝5時に病院に行って大変でした。

って言っていて。

朝5時に病院開けてくれるなんて一般人じゃやってくれんし!

と、モヤモヤ。

芸能人がこういう事を言って、励まされる人がいるんだろうか。と思ってしまう。

 

私よりも長い期間、妊活をして、不妊治療してる人なんか凄い多いだろうし、不妊治療に通うのが現実的じゃなくて諦めた人も、今高温期に期待し、生理に落胆している人だっている。

 

孤独だけど孤独じゃない、始まりも終わりもない、ただ漠然とした期待と落胆を繰り返す。でもその期間は無駄じゃない、先には何か見えるはず。

妊活はじめて焦り始めていた自分へ、今の自分が言える事は

気を楽にしろ

って事しか浮かばない。

闇闇日記を書いていた頃の自分には、かける言葉は見当たらない。

でもその頃の自分がいたからこそ今の自分がいるのだなと思う。

生きやすくなったかと言われたら謎だけど。

 

とりあえず…

 

ここまで長ったらしい駄文を読んでくれた全ての妊活中の方に最高の幸せが届きますように。

来月あたり、アレかもよ!

息子(9ヶ月)とゼウス

日々笑いのツボが違う息子だが

「ゼウス」

だけはここ2ヶ月近く爆笑である。

 

ゼ   にものすごくアクセントをつけて

全力で「ゼウス!!!」

と言うだけである。

 

ゲラゲラ笑う。

 

夫はプラス首振り。

 

もう鉄板大爆笑。

 

そのおかげで息子をご機嫌にするツールとして

出先でもゼウス連発である。

恥ずかしい気持ちももう消えた。

ゼウス様様である。

 

初めて口にする言葉

ゼウスだったらどうしよう。

それでもいいかな。

母子と恐怖のエレベーターボーイ

息子が7ヶ月になったくらいからようやくベビーカーに乗れるようになった。

そうなると必然的にエレベーターに乗る機会が増える。

世の中にはエレベーターに乗る人、乗らなきゃいけない人が多いんだなと、今更ながらエレベーターの需要を知り、乗った時はゆずりあいと思いやりの精神を発揮したり感じたりする。

 

さて。

平日の某ショッピングモールにて。

私は息子をベビーカーに乗せ、エレベーターに向かっていた。

丁度扉が開いた状態のエレベーターがあり、それに乗れたら、と思って向かっていた。

私の前を同じエレベーターに向かう杖をついたおじいさんがいて、おじいさんは私たちに気付き、閉まりそうになった扉を体で抑えるようにして待ってくれていた。

私はおじいさんにお礼を言ってエレベーターに入る。

すると、中にはおばあさんと体操服姿の男の子がいた。おじいさんの連れだった。

 

息子はエレベーターに入るなり、老婆もいるし鏡もあるしニコニコしてたみたいで、おばあさんは息子を見て「あらかわいいわねえ」とニコニコ。

男の子は幼稚園児くらいかな。エレベーターのボタン(低い位置にあるやつ)をガチガチ連打していた。

私はてっきりエレベーターの「ひらく」ボタンを連打してくれていると思った。なので「ありがとう」と言おうとしたら。

 

男の子は「とじる」のボタンを連打してた。

しかも鬼の形相でこちらを睨んでいる…。

 

扉が閉まり、ほんの少しの静寂の後…

 

「おじーちゃんがモタモタしてくるからひとがはいってきちゃったじゃん!!!!!」

 

男の子は大声で叫んだ。

おもわず私が「ご、ごめ…」と言いかけたところでおじいさんが

 

「赤ちゃんは歩けない、ベビーカーはエスカレーター使えない。◯君(男の子のこと)は元気だろう?だったらエスカレーターでも階段でもいいんだよ?」

 

と男の子を諭した。

男の子は正論言われて返す言葉がなくなったのか

 

「あ゛ーーーーっっ!」

と叫びながらおじいさんの足の甲をガンガン踏みつける!!!!

 

ちなみにおじいさんもおばあさんもイ◯ンていうより百貨店にいるような上品な雰囲気でおじいさんは白い革靴はいてた…。

 

おばあさんは息子とニコニココミュニケーション続行中で私は踏みつけられているおじいさんの革靴を見るしかなかった。

 

おじいさんは、ガンガン足を踏まれながら

「なんで◯君はそんな意地の悪い子になったんだ!」って言ってた。

 

エレベーターの扉が開く。

目の前はおもちゃ売り場のコーナーで男の子は奇声を発しながら出て行く。

その後をおばあさんが追いかけ、おじいさんは杖をついてゆっくり歩き始めた。

 

私もその階で降りて別の方向に行ったけど、男の子の奇声はまだ聞こえた。

 

いやあ…

子供ができてからまだそんなだけど子供を見る機会も接する機会も増えてきて

子供って素直で優しい子が多いんだなと思ってた。

たまに共有スペースのおもちゃを独り占めしちゃうとか、欲しいもの買ってもらえなくて駄々こねてるとか、楽しすぎて手が出ちゃったとか

そんな場面にも出くわすけど、どっちかっていうと本能が優っている感じ。大人になる過程みたいな。

この場面に出くわした時、言い方悪いかもしれないけど、なんだか子供の「悪」の部分だけ見せられた感じ。人の子供に対して初めて「息子はこんな子供になってほしくない!!!」と思ったかもしれない。

 

なんだかぼーっとしちゃってその後買うもの忘れて帰宅してました。

 

きっとこの先こんな悪子供エピソードなんて何度も経験するのかもしれないけど…新米母にとっては衝撃的な体験だった。

兼業主婦(休業中)と保活

育児休暇は出産から一年。

息子の一歳の誕生日に復職せねばならない。

息子の誕生月は10月。

保育園に入所するには不利である。

ってか今のご時世、春生まれ以外みんな不利。

 

11月に出産した同じ職場の後輩は激戦区住まいでもう半ば諦め育児休暇を延長するみたい。

育児環境も良いほうだから優先順位も下になるみたいで4月に賭けるようだ。

 

私の場合。

核家族で両親の実家も市外、県外であるため優先順位は割と上位のほう。

住んでいるところは激戦…というよりまず根本的に保育園が少ない。子供が少なくなってまだ保育園不足とかいわれていない頃に保育園が激減したらしい。

そんな少ない保育園の中から更に通勤経路的に現実的なところを考えると本当に少ない。

公立だの私立だのこども園だの選べる余裕がない。役所に提出する書類に入りたい保育園の希望を第三まで書くとこがあって、役所の人に「出来るだけ希望は第三以上書いてください」って言われたけど、そんなねーし!第三まで書くのだってしんどいよ!!!!

同じ地区に住む友人のママ友も預けられなくて育休延長…って聞いた。

あー、まじ日本死ね状態になる日も近いのかも…憂鬱。

 

保育園関係の話は、誰に聞いても明るい話を聞いたことがない。

第8希望まで出したけど待機入り

役所の人に「なぜ4月生まれになるように子供を作らないんだ」と言われて市議巻き込んで喧嘩

親と同居が決まっていたけど保活に不利だから賃貸を延長

と、子を持つ親側の話もあれば

自分の職場がブラックすぎて我が子を預ける保育園が怖くて選べない

という保育士さんの話も聞いた。

 

で、その中よく聞くのが

「夫が全然保活に積極的じゃなかった」

入れりゃどこでもいいじゃん?みたいな。

そりゃ選べないご時世だけどさ!色々あんじゃん?ヤバい保育園だってあるじゃん?我が子をそういうとこに入れちゃってもいいのかよ?!

 

そういえば夫も

「保育園不足とか待機児童なんて都会だけの話だと思ってた!」

って息子生まれてから言ってたよ。

住んでる地区の保育園不足の話は妊娠してる時から話してますがな。

 

主に私が送り迎えする事になるから私の主観で決める事かもしれないけど、一応話はしている。でもちゃんと現実として聞いてるのかな…。あとから「なんでここにしたの?!」とか言われそうで怖い。言われたら外の空気吸いにいくわ…。

 

する気もないけど、今は直接保育園に相談したり顔を覚えてもらうとか直談判するような積極的な保活はしちゃいけないみたいで、役所もなーんも教えてくれないし、保育園の様子をサラリと観察して希望の順位を決めるという地味な保活中。もうこんなん保活じゃねえ。

ここに入れたい!あー!入らなかった!超悔しい!

ってなりたくないから深くいろんな保育園を知りたいって欲も抑えてモヤモヤしている。

 

ってか

婚活とか妊活とか終活…そして保活か。

こんなご時世なんかやだー。

穏やかに「生活」したいものです。

息子(8ヶ月)と老婆

息子は今の所人見知りが全くない。

怖いくらい他人に愛想を振りまく。

特に老婆。

 

散歩やスーパーで問答無用で息子に接触してくるのって老婆率が高い。だからなのか息子は老婆=突然現れてあやしてくれる人と思ってるのか、全然息子に興味を示していない老婆に対しても西田敏行似の笑顔。それに老婆が気づいてメロメロに。というパターンも何度かやってる。

 

第二のウド鈴木…か。