ソフトに死んでいる 兼業主婦は 発光体

あえて抵抗せず子育て中。最近は自己満足な絵をかいています。

夫と育メンと育メンじゃない人

夫はほどほどの育メンである。

 

もともとが私より子供好きで、私達夫婦に子供が授かる事を私より期待し、不妊治療にも私より積極的だった。(これで全然育メンじゃなかったら実家帰ってたと思う)

 

夫の職場には男性の育休制度はあるものの実際使ってるのは本社のグローバル関係の部署の外国人社員くらいらしく、地方支社では皆無。支社長が「子供なんてほっときゃ育つ」なんて平気で公言するタイプらしく育休なんて言い出せない雰囲気らしい。

しかし、夫の周りには育メンパパは多いようだ。子育てについて踏み込んだ話が出来る人が多いらしい。残業も割と管理されてる職場だからかもしれないなあ。

 

そんな夫を持ったおかげで、子育ての理想と現実を夫婦で実感し助け合えているので私は今のところ夫に対して不満もないし恵まれているほうなのかなと思います。

 

休日の外出の殆どは夫が息子を抱っこし、授乳以外は夫がやってます。ってもオムツ交換くらいだけど。

ほとんどは授乳室のある、いわゆる「ベビールーム」でオムツ交換は済ますけど、ない場所では三人で多目的トイレに入ったり、夫だけオムツ交換できるトイレに入ったりする。(所によっては女子トイレにしかおむつ交換台がなかったりするけど…)

 

とある週末。

某ショッピングモールにて、ベビールームから一番遠い所で息子がぐずりだし、息子からはンコの臭いがほんのり。

夫が近くの男子トイレへオムツ交換しに入っていった。私はトイレ前のベンチに座る。

 

暫し待っていると、男の子3人(上小学校低学年、下幼稚園くらい)連れた男性がトイレから出てきて隣のベンチに座っている女性のもとへ。

「赤ちゃんいた!」

とその男性が女性に少し興奮気味で言う。

奥さんは。へーぇ。と流しながら子供たちの服を整えていた。

「まだ小さくてさあ、お父さんがオムツかえてたよー、やだなあ」

奥さんは黙ってた。

 

私もしばしフリーズ。

 

その家族が去って夫が息子抱えてトイレから出てきた。

私はさっきまでの出来事を夫に言おうかどうしようか迷ってたら

 

「オムツ変えてたらさー、『オムツ台なんてここにあったんだ!』って言われた」

と夫。

もしかして、3人子供連れてた?と聞くとそうだと言う。

なのでさっきまでの話を夫にすると。

「子供3人もいて、今まで奥さんに全部任せてたのかな。奥さん凄いな…。そういう神経分からんわ」

と夫。

 

まあ、男性も入ってもいいベビールームでも手前で待ってて入ってこないお父さんもたまに見るし、一緒に入ってきてもオムツかえてるお母さんをうしろでそっと見守ってるお父さんもいるし、見もしないでケータイ弄ってるお父さんもいる。

 

でも、そんな家族ばっかり見てるわけじゃない。

上記の男女逆もよく見る。

お母さんが買い物してるのをお父さんが子供も抱っこして待ってるのもよく見る。

 

全然子育てに介入してないように見えても、実際それを奥さんが望んでるかもしれないしね。

「あなたは何もしなくていい!(子育て家事に関して)」って旦那さんに言ってる人もいるくらいだし。

 

うちはうち、よそはよそなんだよね。

育メンって言葉自体あるって事は、育児をしない男性もいるし(むしろそっちが今までは普通だったって事よね)それでよしとしてる女性もいるって事だ。家庭の在り方は今の時代多様化してるだろうし、家族の在り方に正解なんてない、それぞれのやり方でうまくいってるならそれでいいんだよね。

 

男女平等!とか女性が活躍する社会を!とか言ってるのも、両極端に考えがバラバラしてるから難しいなと思う。特に都会と田舎では全然考え違ったりするからね。

 

夫が育メンでもそうじゃなくても、奥さんに不満がなくてうまく家庭がまわっていればどっちでもいいよな。と思った。

 

 

しかし、一度お父さん手ぶらでガスガス歩いてる後ろを大きいリュックと買い物した袋を持って子供も抱っこしてるお母さんが歩いてるのを見たときはなんだかなーって思った。

 

 

 

息子(2ヶ月)と包茎

むくか

 

むかないか

 

これが今現在の夫婦の悩み。

 

 

私は超女系家族に生まれ育っているので分からない。

夫は「俺は生まれた頃からむけていた」と言ってる。

夫母は全然覚えてないと言っていた。

 

 

むきむき体操をいつから始めたらいいとかも、育児書、ネット、雑誌…バラバラ、曖昧だし最終的には「それぞれの家庭の考え次第!」とな。

 

さきほど書店にて夫婦で表記の件について話していてヒートアップしてしまい

「男にとって包茎は死活問題だと思う!」と割と声を荒げて夫に話してしまった。

 

うーん、夫はあまりピンときてないみたい。

こういう事って意外に女性の方が気になるもんなのかな。

 

ほら、包茎はさ、ね、…ねえ。

嫌だよ、ほら、ね、アレとか心配、ねえ。

あれもアレだし、…ねえ。

ほんと包茎って…アレよ。

 

妊婦と本当の陣痛(出産記その7)

私は痛みに弱いのかな。

と思ったのは不妊治療を始めた頃にした卵管造影検査の時。

 

あまりの痛さに、うわぁーっ、と声が出た。

 

検査後暫く起き上がれなくて看護師さんに支えられてやっと起き上がれたくらい。

 

生理痛は年々和らいでいたが、重い方で一度気絶したり、何度か腰抜かしたりしてたからなんとなく自分は痛さに強いと思ってた。

 

その卵管造影検査の時、痛さに無意識に声が出たもんだからびっくりしたのと同時に痛いと卵管に異常があると思って愕然としたんだけど結果は異常無し。異常有りならどんだけ痛いんだとさらに愕然とした。

 

臨月ちょい前の頃に一足早く出産を終えた友人に会った時に陣痛の痛みについて話したことがあった。

 

「私は叫ぶタイプだった」

 

と友人は笑顔で話してた。

 

まじかー、叫んじゃうのかー穏やかな貴女が、あらあら、旦那さんもびっくりね。

 

 

 

閑話休題

 

結論言えば私は「叫んで暴れるタイプ」でした。

 

 

 

促進剤を打たれてから、今までの陣痛は単なるお遊びみたいなもんだと確信するのに全然時間はかからなかった。

 

すぐ痛みが!しかも1分おきに!

 

鼻の穴に棍棒(鬼が持ってるトゲトゲしたやつ)とか大根とか言われるけど

 

とにかく私の場合

 

 

 

ケツの穴が痛い!!!!!

 

 

 

便意の痛みとかそんなんじゃない

ンコよりデカイものが出そう!!!!

とにかくケツの穴が痛い!!!

肛門か恥骨から自分の体がメリメリっと2つにわかれそうな感じ。(寄生獣みたいに)

 

今までの陣痛は深呼吸を繰り返すことで痛みを逃すことが出来たのだが全然無理!!

 

いつの間にか痛みのたびに声が出るようになり

それが

 

んーっ

あーっ

 

から

 

ん〝ーーーー!

あ〝ーーーーっっっ!

ぎゃーーーーっっ!

 

になる。

 

お腹につけた陣痛を測る機械も陣痛のたびにエラー音が鳴る。

私が陣痛のたびに叫んで暴れるから。

壁をドンドン叩いたし、夫の腕を爪立てて握ったりベッドに足をガンガン打ったりしてた。

 

その度に助産師さんが来て、

 

ヒーフーって呼吸して痛みを流しましょう。

声出しちゃダメ!

いきんじゃだめ!

お腹の赤ちゃんも頑張ってますよ!

 

って言う。

 

ちなみに夫はその間、私のそばにいて背中さすったりテニスボールを私の肛門に押したりしている。

夫にとってすごい時間だったと思う。

そばにいてくれてよかったと思うけど、知らない私をたくさん知ってしまったと思う。てか大半私も知らない自分だったけど。

 

何度かそんなん繰り返して、多分助産師さんの引き継ぎ交代があって様子を見に来る助産師さんがガラッと変わった。

さっきまで、私を励ましたり夫と一緒に体をさすってくれる人から

良く言えば姉御肌で冷静なんだけど悪く言えば超冷たくて厳しい人になった。

今思えばそんな差はないと思うんだけど、その時の私には天使と悪魔の差に思えた。

 

その時に子宮口のチェックをしたんだけど、どうやら全開してるんだけど赤ちゃんが降りてきてないらしく、降りてくるまでまだいきめない(分娩室に行けない)と言われる。

 

その説明されてる途中で陣痛がきて、ギャーッッと叫ぶ私。

その私にクールな助産師さんがため息まじりに

「叫ばない!呼吸で逃す!」

と叱る。

 

なんかそれにカチンときて

「出来てりゃ叫んでないわ!」

と私は初めて口答えした。

しかも

促進剤の入った点滴も痛みで暴れるたびに超邪魔で、もう促進しなくていいだろ十分陣痛してるしとか言って点滴取ってくれとも言った。

 

この時の事を夫は鮮明に記憶してるらしく、「凄くタチの悪い妊婦だと思った。超逆ギレしてるんだもん。助産師さんも呆れてたと思う」と言われる。

 

 本当の陣痛は人格を変える。

というか、自分の奥底にある人格を引き出す。

今あの時の叫びを再現してと言われても出ない。

あんな声出るんだってその時も思ってたし。

 

 

とにかく私は叫んで暴れるタイプで

陣痛は肛門がひたすら痛かった。 

妊婦と陣痛促進剤(出産記その6)

朝、陣痛がおさまってきてしまった。

 

 

私も夫も陣痛の間隔が長くなったのでその間寝れちゃっていた。

たまにくる陣痛も夜中の酷さに比べたら入院前の痛みくらいまで落ち着いてしまった。

 

 

何回か陣痛の様子を測る機械をつけたりしたんだけど、昼過ぎの時点でその機械をつけて測る30分間に一度も陣痛がこない状態になってしまった。

でもその割には子宮口は6センチ開いた。

 

陣痛がこないのは心配だけど、痛みがなくて楽でヘラヘラテレビ見てた。

 

15時くらいだろうか、看護師さんが

「そろそろ陣痛室に行って促進剤打ちましょう」

と言いにきた。

破水から時間経ってるし、ヘラヘラとテレビを見てた私だけど吐きまくってるし入院してから水分とフリスク以外口に入れてなかったので、ちょっと危ないかもと判断されたようだった。

 

周りの経産婦から「陣痛室に行くまでがしんどい、陣痛室入れたらあとは早いよ!」なんて言われていたので

内心、

よっしゃー第一段階クリアー!

なんて思ってた。

 

なんておもってた。

 

ヒィヒィなって車椅子で陣痛室まで行くとか言われてたけど、スタスタと徒歩で移動。

なんか私スポンと産んじゃう感じなのかな?

なんて思ってた。

 

なんて思ってた。

 

 

陣痛室はベッドと付き添い用の椅子と陣痛測る機械でキャパぎりぎりな狭い部屋で

ベッドに横になると、看護師さんが促進剤の準備を始めてた。

壁際にあるベッドに横になってると、隣の陣痛室からハァハァと苦しそうな声が聞こえた。

私もしばらくしたらああなるのかなー。

なんて思ってた。

 

なんて思ってた。

 

しばらくすると、点滴の装置と促進剤を持って看護師さんが現れた。

なんだか私の血管パターンと看護師さんの相性が悪かったみたいで二度失敗され

しばらく放置された後、超ベテランぽい看護師さんに注射され点滴完了。

 

「促進剤って効くんですか?」

と聞く私に看護師さんが

「かなり効くよ。私三人産んでるんだけど三人とも促進剤打ってもらって産んでるんだよねー。だから大丈夫だよ。」

と言ってた。

 

かなり、効く…か。

 

陣痛が、促進、かなり、効く、とね。

 

 

 

息子(2ヶ月)と大量の女の子

うちの寝室には会田誠の滝の絵が飾ってある。

(正確には何年か前に個展で買ったジグソーパズルを半年かけて完成させたもの)

 

 

 

滝にたくさんの女の子(スクール水着)がいる絵だ。

 

息子がちょっとぐずった時にその絵を見せて「女の子いっぱいいるねー」と話したら

息子ニンマリ笑ったよ…。

さっきまでぐずってたじゃないか!

 

 

まだ視力は弱いはずだが。

将来有望…もしくは…

妊婦と陣痛(出産記その5)

(汚い表現があります。)

 

 

夜が更けるにつれて痛みはどんどん酷くなっていった。

間隔は五分おきくらい。

痛みは出せない下痢を我慢してる感じ。

テレビとか夫とのおしゃべりで気を紛らわしてもダメになってきた。

 

私は吐き気もあって、吐くものもないのにゲーゲー吐いてた。

幸い夫がゲロ耐性があり(夫は乗り物酔いが酷くよく隠れて吐いてる)、吐きやすい体の角度?とかゴミ箱の角度とかめちゃくちゃ誘導が上手で逆にゲロ耐性のない私は助かったのだが、自分のゲロにもらいゲロを繰り返した。

 

自分がゲーゲーしてる時、テレビでロバートとザキヤマが捨ててあるエロ本探してた記憶がとても鮮明、苦笑。

 

ちなみにこの時凄く助かってこれから出産を控えている人に勧めたいものは

 

ペットボトルのフタにストローつけれるやつ(100均で売ってる)

フリスク

 

この2つは分娩台まで持って行くくらい手放せなかった。

めちゃめちゃ喉乾くし、飲み物は必須。フタにストローつけられるのはかなり飲みやすかった。

私のように陣痛の間ゲーゲー吐き気が酷い人ならフリスクは少しでも口の中も気分も楽になった。

あと

吐いても追いゲロ気分にならない爽やかなフリスクゲロになるので余計なゲロしなくてもいい☆

 

いつまでこの状態が続くんだろ。

陣痛がきちんと五分くらいの感覚になりだして5時間くらい経って、今自分がどの段階にきてるのか分からないまま痛みに耐えるのが精神的にしんどくなってきた。

真夜中に看護師さんが様子を見にきたので

あとどのくらいこの状態が続くのか聞いたら子宮口の確認をしてくれた。

「まだガチガチに閉じてるなあ」

 気が遠くなった。

「でもこの様子だとこれからもっと痛くなるから」

と、夫に痛い時にこれでお尻を押して!と、テニスボールを渡して去っていった。

 

…子宮口全開って何センチだっけ…

…これからもっと痛くなるの…

 

愕然となりながらも痛みに耐える私。

その度に私のケツをテニスボールで押す夫。

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

窓の外が明るくなり、テレビも朝の情報番組になってきたころ。

 

あれ、なんか体が楽になってきた。

 

陣痛がおさまってしまったのです。